1日一袋のキャベツ
キャベツの食べ過ぎ。
ごま油の取り過ぎ。
全てはやみつきキャベツが悪い。
全く止まらない。
キャベツにごま油と塩とだしの素を和えるだけ。
そんな簡単なものがどうしてこれほど美味しいのだろう。
手間暇をかけたものに限って、美味しくない一方で、手間暇をかけずとも美味しいものは美味しい。
要するに自分は料理が下手ということだ。
深夜の空腹
夜11時を回り、無性に腹が減って仕方がない時がある。
それは大体休みの日に起きる。
夜ご飯に手を抜き、適当に作った結果いつもより少なめの量を食べることによって、この現象が起きる。
何故休みの日の夜ご飯は手を抜きがちかというと、朝、昼と料理をして、料理に飽きているのである。
こんな時には何を食べればいいのか、未だにその答えは見つけられていない。
今からご飯を作るのはとても面倒だし、ベッドに入り読書に勤しむ時間が削られるのも腹立たしいが、仕方がないので、卵かけご飯を作ったんだけども、とても美味しかったので、良かったことにしたい。
酒とポテサラ
男爵いもを一度に5個も潰してポテサラを作ったのは、昨日の深夜12時を回った頃である。
ポテサラの冷蔵保存は2,3日しか持たないことを考えても、どうしてあんな無茶をしてしまったのかが分からない。
最後の赤ワインのボトルを8割開けたところでアテを作り始めたのだから、もう手に負えない。
しかもこれが不味い。
マヨネーズをあまり入れずに、柚子胡椒とブラックペッパーばかり入れたので、全くマイルドではないポテサラが出来てしまった。
酒の勢いでポテサラを作るのにはまだ経験点が足りなかった。
あとベーコンも足りなかった。
ポテサラを皿に盛り、一皿平らげたところで、無性に気持ち悪くなり、急いで風呂に入り、寝て、起きたのが日曜日の朝10時ぐらい。
今日は気持ちがいいから、外にお出掛けをしたい。
空腹
コーヒーショップに向かう途中、なんだかささくれ立った気持ちになってしまったのだが、脇にあった弁当屋を見てその原因が空腹であったことに気付いた。
人は空腹で簡単に変わる。
腹が空けば良いことも悪く思え、腹が満たされれば悪いこともなんだかどうでもよくなってしまえるものである。
空腹とは罪である。
米とみかん
寝る直前に米を床一面にぶちまけた時ほど情けない気持ちになる時もない。
夜も更けているため、掃除機もかけることはできない。
四つん這いの状態を維持しながら、布で米を集めていく姿は非常に滑稽であると思う。
この手法で、全ての米を集めきれたとは、到底思えない。
更に、歯磨きをしてしまったにも関わらず、今日はみかんを食べてないことに気付いた。
みかんを食べた個数はそのまま翌日の調子の良さに繋がってくるので、明日は絶不調で失敗ばかりすると思う。
この文章を打ちながら思ったことがある。
今日は失敗ばかりしたことと、絶不調はぜつふちょうと読むということである。